市制100周年 川崎市映像アーカイブ

新着情報

2023年03月24日

川崎市内 区制周年を振り返る 座談会後編:映像アーカイブの活用方法は?

川崎市では、令和4年度に各区が区制40周年、50周年を迎え、区役所と区民が一体となって周年事業を行いました。そこで7区を代表して、区制40周年を迎えた麻生区、区制50周年を迎えた幸区・中原区の周年事業に携わった3名にお集まりいただき、主な周年事業をご紹介いただくとともに、川崎市の歴史を収めた「川崎市映像アーカイブ」を見ながら、各区の歴史を振り返っていただきました。

 

参加者紹介

 

麻生区・岩倉宏司さん

地域情報誌「マイタウン」を制作する株式会社エリアブレイン代表取締役、新百合ヶ丘エリアマネジメントコンソーシアムの企画・運営、事務局を受託する株式会社ビュグラー代表取締役。

 

幸区・人見雅子さん

かわさき市民活動センター勤務。NPO法人幸区盛り上げ隊の編集長として地域情報を発信。かわさきシアターカンパニーの劇団員としても活動中。

 

中原区・池田賢一さん

中原区役所地域振興課係長。区民とともに、区の魅力の発信や地域課題の解決に携わる。

 

 

自分が住むまちの過去と未来を考えるきっかけになる「川崎市映像アーカイブ」

 

——では、次のお話に移らせていただきます。皆さんには事前に「川崎市映像アーカイブ」をご覧いただいた上で気になった映像をピックアップしていただいたのですが、その前に、この映像アーカイブの存在をご存知でしたか?

 

岩倉 少しだけ知っていた程度なんですけど(笑)、改めて見させていただいて、川崎市には良い資産がたくさんあるなと思いました。

 

人見 私も「川崎市映像アーカイブ」という名称だけは知っていました。サイトでは、キーワードで映像が検索できたり、区や年代別にも検索できますし、1本1本の映像が短くてすぐに見られることもあって、良いサイトだなと思いました。

 

池田 私も存在は知っていましたが、必要な映像しか見たことがなかったので、今回ちょっと違う視点で見てみたんですね。そうすると発見がたくさんあって、このインタビューをきっかけに改めて面白さを感じました。

 

——そんな「川崎市映像アーカイブ」の中から、それぞれの区の映像で印象に残ったものや、面白いなと思った映像をご紹介いただけますか?

 

岩倉 麻生区は、土地柄を考えて「早春の王禅寺【昭和36年】」を選んでみました。ちょうど僕が生まれた頃の映像で、都市化が始まる直前のタイミングですね。柿生の田園風景と王禅寺というお寺が映っていて、良い映像だなと思って見ていたところ、今は廃炉になった原子力研究所が後半に映っているんですよね。ということは、あの土地は原子力研究所を建設しても大丈夫だろうと言われていた場所だったわけです。

 

ところがまちがどんどんできてきて、人がその側にも住むようになり、原子力研究所が廃炉になってしまった。そんなことが見て取れる映像になっています。動画の中で「原子力研究所がこれから川崎市の名所になるかもしれません」と言っていて、何とも時代を象徴しているなと思いますね。

 

春の兆しが感じられる王禅寺の景色に続き、原子力研究所の建設の様子も映像に収められている。

 

それからもうひとつは、丘陵地の団地開発を映した「丘陵地帯に続々団地【昭和35年12月27日】」です。昭和35年に百合丘団地の入居が始まって、それに合わせるように百合ヶ丘の駅ができたんですね。映像に「ゆりが丘ストア」(現・ゆりストア)というスーパーが出てくるんですけど、まちの人たちは全てこのスーパーで賄っていた時代がありました。60年が経って、今年の1月に建て替えのためにゆりストアが一時閉店したということで、自分にとっても非常に思い出深い場所です。山を切り開いて、何もなかったところから新しいまちを作っていった様子がよく分かるアーカイブ映像になっていると思います。

 

開業したばかりの百合ヶ丘駅と、完成したばかりの百合丘団地、人で賑わう「ゆりが丘ストア」(現・ゆりストア)の昭和35年の様子が見られる。

 

もうひとつ、新百合ヶ丘周辺の基盤整備がある程度終わったところで、北部の住宅地に都市部を作っていくという考え方が当時の川崎市にはありまして。その時に、ただ大きなまちを作るのではなく、「緑と文化」というキーワードを大切にしながらまちを作っていきましょうということになったんですね。そのキーワードは無理やり作ったのではなく、自然豊かであることを好んで麻生区に住んだ方たちの多くが文化・芸術が大好きだったということで、「緑と文化」が麻生区のテーマになっていったのだろうなと僕は感じています。

 

そこで紹介したいのが、「緑・ふれあい・文化(新都心街づくりとシンポジウム【昭和62年2月15日】」の映像なんですけども、実は当時、フリーペーパーを制作する会社に入ったばかりの頃で、色んな場所へ取材に行っていて、確かこのシンポジウムも取材したなと思いながら映像を見ていたところ、なんと私、客席にいました(笑)。

 

池田 そんなミラクルが(笑)。

 

岩倉 27歳の自分が映っていて、「そうそう、やっぱりいた」っていう感じでした(笑)。

 

地元住民など約500人が参加したシンポジウム。関係講師による講演や、パネル討論会が行われた。

 

池田 これだけの映像があると、色んな人が映っていますよね。市役所庁舎のさよならイベント(「川崎市役所庁舎さよならイベント【平成28年10月】」)のアーカイブ映像もあるのですが、僕もそのイベントに娘と一緒に参加したので、自分が映ってないかなと思いながら見ました。残念ながら映っていませんでしたが(笑)。

 

人見 私もそのイベントに参加しました! 市役所の壁に落書きをしたんですよね。もしかしたら私も映っているかもしれない(笑)。

 

岩倉 そういう楽しみ方もありますし、まちができていく様子がすごくよく分かる映像がたくさんあって、見ていて楽しかったですね。

 

人見 この当時の流れが、40周年記念の事業につながっている感じなんですね。

 

岩倉 「緑と文化」というキーワードがずっとつながっているのが麻生区の良さですし、そのキーワードを忘れないところが、自分たちのまちのプライドでもあると思います。

 

池田 新百合ヶ丘の住宅街に住んでいる方たちは、昔は何もなかったって分かるとびっくりするんじゃないですか?

 

岩倉 だと思います。僕が11歳の時、1971年に今の新百合ヶ丘駅の側に住み始めたので、昔の新百合ヶ丘も知っているんですよ。それもあって、自分よりもっと年配の方と当時の話をすると人気者になれます(笑)。

 

池田 アーカイブ映像は、コミュニケーションツールにもなるということですね。

 

「“緑と文化”というキーワードをずっと忘れないところが麻生区の良さで、それがまちのプライドでもある」(岩倉さん)

 

——では続いて、幸区の映像について紹介をお願いします。

 

人見 1本目は、幸区で一番標高が高い夢見ヶ崎公園に展望台ができた時の映像(「夢見ヶ崎公園に展望台【昭和36年】」)です。私が地域活動のひとつとして参加した「夢見る星空キャンプ」(平成29年開催)というイベントがあるのですが、そのイベントと比較して、夢見ヶ崎公園が地域の人たちになじみのある場所に育ったんだなということを感じたので選びました。

 

昭和36年に完成した夢見ヶ崎公園にそびえ立つ展望台。景色を楽しむ人たちには笑顔が浮かぶ。

 

こちらは平成29年に夢見ヶ崎公園で開催された「夢見る星空キャンプ」の様子。

 

2本目は「新装なった水産物卸売市場【昭和46年2月23日】」なんですけれども、今は「川崎南部市場」や「幸市場」という名前になっている市場の映像です。国道沿いにあるので、映っている車も時代が感じられますし、市場での競りやマグロの解体など、働いている人の生き生きとした雰囲気が伝わってきます。

 

今はもっとなじみのある市場にしようということで、「いちばいち」や、今も続いてるか分かりませんが、市場の人が講師になって魚のさばき方や出汁のとりかたを教える講座もあって、一般の方たちが行き交う市場になりました。

 

人口増加に伴う需要に応えて、昭和46年に拡充された市場。朝早くから仲買人たちの活気で溢れかえっている。

 

池田 「いちばいち」に行ったことがあります。さんまが無料で配布される日で、すごい行列だったんですけど、本当においしかったです。

 

人見 一般の方たちに来ていただくような工夫をしているんですよ。お安くおいしいものが揃っている専門店もありますので、幸区の名所のひとつだと私は思っています。

 

そして、もうひとつは、「地下街建設急ピッチ【昭和60年1月15日】」という地下街のアゼリアの映像ですね。今を知っているからこそ面白いと思える映像で、地下を掘っているところや、内装ができる前のコンクリート剥き出しの様子も分かります。リニューアル前のできたてのアゼリアが見られておすすめです。

 

急ピッチで建設が進められる川崎駅東口広場の地下街。地下2階の駐車場や、地下1階のショッピング街・アゼリアの工事の様子が見られる。

 

——では続いて中原区の映像についてお願いします。

 

池田 私は、「国際彫刻シンポジウム【昭和58年10月15日】」という催しが昭和58年にあったことを映像アーカイブで知りまして。見ていただくと分かるとおり、川崎市の姉妹友好都市の彫刻家さんが延々と彫刻を作っていて、子どもがその様子を横で見ているんですよ。

 

岩倉 すごいですよね。現場で作っているんですもんね。

 

池田 そうなんです。小さい子どもがおじいちゃんと一緒に作業を見ている様子が映っているのですが、昭和58年の映像ということは、私と同級生ぐらいかなと思いまして(笑)。

 

現在も中原平和公園に残る彫刻は、世界7カ国、9人の彫刻家が「国際彫刻シンポジウム」で作り上げた作品ということが分かる。

 

この中原平和公園は、米陸軍の出版センターだったところが公園になったということで、平和的な意味で石像が置いてあると思っていたんですね。でも実際は、こういったシンポジウムがあってできたものなのだと分かって、区の職員も知らなかったことが、この映像を見て発見できました。

 

そして2本目は、「-川崎散歩- 等々力緑地をたずねて【昭和48年6月26日】」です。中原区の顔とも言える等々力緑地ができた頃の映像で、その頃から賑わっていたんだなということが分かります。

 

この後、等々力陸上競技場がヴェルディ川崎のホームスタジアムになり、川崎フロンターレのホームスタジアムにもなって、当初はお客さんが少なかった川崎フロンターレが、今はチケットを取るのも困難な人気クラブに成長したということで、チームのホームとなる等々力緑地の映像をピックアップさせていただきました。等々力緑地自体も、今後またさらに時代に合わせて変わっていくので、貴重な映像なのではないかなと思います。

 

広大な敷地内にある野球場やテニスコート、子どもたちの遊び場である広場、釣り人で溢れかえる池など、当時から市民の憩いの場となっていた等々力緑地。

 

3つ目は、等々力ときたら、やはり多摩川ということで、「多摩川をきれいに -多摩川美化活動-【平成3年6月15日】」という映像をピックアップしました。多摩川って昔は「死の川」と言われていたくらい汚染されていて、この映像は平成3年のものなので、かなり綺麗になってはいるのですが、それでも地域の方々の美化活動で18t以上のゴミが出た時の様子が映っています。

 

多摩川沿いの美化活動は今も地域の方々によって行われているのですが、資料によると今年度のゴミは4tぐらいだったということで、それだけ綺麗になったんだなと思いました。

 

およそ26kmに及ぶ多摩川河川敷の清掃に12,000人もの市民が参加。中には大型ゴミも捨てられており、1日で18t以上のゴミが集められた。

 

あと、映像ではないのですが、見ていただきたい写真がありまして。この写真は、昔と今の中原区の航空写真なんです。中原区と言うと今はタワーマンションが立ち並んでいますけど、昔は工場がたくさんあったということが分かりますね。今の武蔵小杉駅の近くに「工業都市駅」という駅があって、見比べてみると面白いのではないかなと思います。

 

昔と今の中原区をほぼ同じ角度から撮影した航空写真。タワーマンションが目立つ武蔵小杉駅周辺に、かつては工場が立ち並んでいた。

 

岩倉 大学時代にバイトでその辺りに行っていましたよ。

 

人見 えー! そうなんですか?

 

池田 昔の写真を見ていると、そういった話を結構聞きますよね。昔の資料があると、今はこの地域にたくさんの方が住んでいるけれど、昔はこうだったんだよということを子どもたちにも知ってもらえるのも良いと思います。

 

人見 今だって未来の人から見ると“昔”になるので、今の様子も残しておかないといけませんね。

 

「未来から見ると、今だって“昔”。今の様子も残しておかないといけませんね」(人見さん)

 

——こうして少しご紹介していただくだけでも楽しい発見がある「川崎市映像アーカイブ」ですが、今後はどんなふうに活用すれば良いか、アイディアがあれば教えてください。

 

岩倉 さっきもちょっと申し上げたんですけども、自分たちのまちがどういうまちだったのかを改めて考えるきっかけになると思いますし、これから先の50年、60年、まちをどういうふうにしていくと良いかを考えるきっかけにもなると思いますね。

 

仕事柄、まちのこれからについて話をすることがあるのですが、住宅地になる前に、ここからスタートして今の新百合ヶ丘になったんですよと映像を使いながら話すと、より興味を持ってもらえそうな気がしています。それは麻生区だけではなく、さっき見せていただいた中原区の写真もそうですし、まちを知るきっかけになる良い資料だと思いますね。

 

人見 私は幸区盛り上げ隊として、年に4回「幸区にゃんだふる通信」というフリーペーパーを発行していまして、その中に、同じ場所の昔と今を比べる「今昔物語」というコラムがあるんです。その資料を毎回、図書館やネットから探し出しているのですが、「川崎市映像アーカイブ」はネタの宝庫だなと思いました。もし、アーカイブの資料を画像として使わせていただけるようでしたら、すごくありがたいなと思っております。

 

人見さんが編集長を務める「幸区にゃんだふる通信」には、写真や風土記を使って中原区の今と昔を比べる「今昔物語」というコーナーが。

 

(川崎市の担当者が出したOKサインを見て)今、グッドというサインが出ました(笑)!ありがとうございます。色々な場所の紹介に、ぜひ使わせていただければなと思います。

 

池田 私はこの座談会に参加させていただいて、映像を見ながら色んな話が聞けたことが楽しかったです。昔から川崎市に住んでいらっしゃる方にとって「川崎市映像アーカイブ」は、さらに楽しめる内容だと思いますし、さっき岩倉さんがおっしゃったように、話を盛り上げるきっかけとして、どんどんこの映像を広げていって、人見さんのように活動に使っていただくなど、広がりが生まれると面白いのではないかなと思いました。

 

人見 昔のものを見ると、高齢者の方々は「そうだった、そうだった」と脳トレにもなりますしね。町内会での上映会とかもいいと思います。

 

岩倉 それは面白いですね!

 

池田 町会の集まりや、みんなで意見を出し合いたい時に、最初にこういった映像を見ながら「あの時はこうだったよね」って始めると盛り上がって、今後に向けた話も出てきやすくなりそうですよね。

 

人見 映像の長さもコンパクトでちょうど良いですし。

 

「話を盛り上げるきっかけや、活動の資料として『川崎市映像アーカイブ』を使っていただけると面白いと思います」(池田さん)

 

——個人的には、さきほど中原区の国際彫刻シンポジウムに出てきたお子さんを見て、「この人、探してます」というような人探しをしてみたいと思いました(笑)。

 

人見 いいですね、それ(笑)!

 

——こんなふうに色々な使い方ができそうな「川崎市映像アーカイブ」を、気軽に見ていただけると嬉しいなと思います。それでは皆さん、本日はありがとうございました。

 

岩倉・人見・池田 ありがとうございました。

 

(インタビュー・文/佐藤季子)

 

 

<川崎市内 区制周年を振り返る座談会>

 

(c) City of Kawasaki. All rights reserved.